シッダールタ ヘッセ・高橋健二訳
何というか、よくわからない小説である。
シッダールタとは釈尊、つまり仏陀の出家以前の名前のことらしい。
しかしこのシッダールタはゴータマ・シッダールタ(すなわち仏陀)のことではない。
このシッダールタが生に苦しみ抜いたあげく、ついに悟りの境地に達する。
その苦しみの過程を描いた最高の芸術作品だと絶賛する人が多いのだが、ぼくはよくわからなかった。
なんせ、このシッダールタは歓楽と酒、もうけと蓄財の悪にふけってそこから抜け出せないのである。
大金持ちの遊女との愛欲におぼれ、できた子供に命令され、軽蔑され、そのことにまた悩む。
また訳者高橋健二さんの(新潮文庫版)こういう文章に少し耐えられなかった。
「ゴーヴィンダは知っていた。『シッダールタは、普通のバラモン僧には、いけにえをつかさどる怠慢な役人には、呪文をあきなう強欲な商人には、見せかけばかりで空疎な弁舌家には、よこしまで腹黒い司祭には、そしてまた多くの畜群の中のおとなしく愚かな羊にもならないだろう』ということを。」
清水義範が「永遠のジャック&ベティ」でパロッたような、中学英語の直訳文体でしか喋れないまま成人したジャックとベティの会話のような訳が続くのである。
他の人の訳も読んでみたい。
ヘルマン・ヘッセは間違いなく偉大な作家だと思うが、ドイツ人でありアングロ・サクソンの彼が果たして仏教、仏陀というものを正しく理解しているのだろうか疑問に思う。
例えはおかしいが、倉田百三が「出家とその弟子」で描いた親鸞がキリスト教的な親鸞だと言われたように、微妙な違和感がある。
もちろん仏教ではなく、人間の悟りの過程を描いた哲学を詩的に書いたものだという解釈も可能だろうが、どうだろう。













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